May 30, 2009

結婚式の章では、リゾートをお勧めします。

自分もそうだが結婚式は現地で友人を招いて式を挙げるのも好きだが、少数の場合は、リゾート挙式がお勧めです。新婚旅行も兼ねているため非常に便利な招待も楽しんで帰ってすることができます。費用は多少かかりますが、それでも旅行代理店などですべての準備をしてくれるので簡単です。リゾートは、スタイリッシュな結婚式場も多いです。森とビーチの結婚式場は本当に素敵だと思います。
20代の頃、結婚しようとしていた人と別れてしまい、慌ててホンファルウルなバーがあります。その頃、婚活なんて言葉はなかったと思うのだが。そして、パーティーに何回か参加した。男性女性の多くの人々が集まって話をした後、気に入った人を指名するようなものだったと思う。女性は何人かの著名なきれいな人がいて、あとで聞いたが、彼らは桜だったようだ。
 ◆横浜3―3中日=延長10回規定により引き分け=(18日・横浜) ハマの夜空に落合監督が6度、舞った。中日が、球団史上初の連覇となる2年連続9度目のセ・リーグ制覇を決めた。優勝マジック1として臨んだ横浜戦(横浜)で6回、ブランコが起死回生の16号3ランを放ち、延長10回引き分け。最大10ゲーム差の逆転Vを果たした。引き分けでのリーグ優勝は1985年の阪神以来、2度目。今季限りでの退任が決まっている落合博満監督(57)は就任1年目の04、06、10年に続き、監督として4度目の優勝となった。2年連続の日本シリーズ出場に向けて、11月2日からの本拠地・ナゴヤDでクライマックスシリーズ(CS)最終ステージに挑む。

 歓喜の輪の中心に選手たちに拍手で招き入れられた。落合監督が現役時代の背番号と同じ6度、宙を舞った。試合終了後、表情を悟られないように一度、ベンチ裏に引き揚げた。涙をこらえるような姿に今季に懸けた思いがこもっていた。「選手には褒められたければ『オレを超える成績を残してみろ』と言ってきた。勝つことに関しては、想像を超えるところで試合をやってくれた。今日だけはオレは褒めてやる。お前ら、大したもんだ。本当にありがとう」。監督に就任した2004年から8年間率い、歴史を変えた教え子たちに頭を下げた。

 マジック2から巨人に悪夢の3連敗。この日も3点を先行されたが、6回にブランコが16号同点3ラン。横浜が反撃に転じると、浅尾を8回2死一、二塁から投入。延長10回まで続投させた。あと1人で引き分けの場面で、指揮官はホッとしたのか、ジャンパーを脱ぎかけた。森ヘッドコーチが慌てて止めると、照れを隠すようにブルペンに電話を掛けた。冷静沈着な監督が見せた“スキ”だったが、セットアッパーが筒香を空振り三振に仕留めた。「負けなかったのが強いな、と思いますね」と浅尾の頭をなでた。

 3年契約の最終年。覚悟を決めていた。優勝争いが佳境に入った夏場。不振の和田をナゴヤDの室内で指導した時のことだった。その際、信子夫人も呼び寄せた。「オレが打つのは、これで最後だと思う。見に来い」。赤い手袋をはめると、左足1本で立ち、現役時代とは逆の左打ちでバットを振った。軸の全くぶれない、見事な“一本足打法”。そこには、その雄姿を見つめる若手の姿もあった。長年連れ添った夫人やまな弟子への思いと去りゆく球団に自らの財産を残すため。3冠王3度の大打者の魂をこめたスイングだった。

 過去7年間、日本一1度、リーグ優勝3度を含め、全てAクラス入り。常勝チームを築いたが、その裏では観客動員減や人件費の高騰を理由に水面下で“落合降ろし”が進んだ。球団はヤクルトに最大10ゲーム差をつけられた8月、後任監督の選定に着手。チームの敗戦にガッツポーズする球団職員も現れた。

 9月22日。台風の影響で遠征先の東京から始発の新幹線に飛び乗った指揮官は、混雑した車内で立ったまま名古屋に戻った。そこで告げられたのは、今季限りの契約満了。発表は、4・5ゲーム差で迎えたヤクルトとの決戦3時間前だった。「アタマに来た! 絶対に優勝してやる」と首脳陣の一人が激怒。信じがたいタイミングだった。

 それでも落合監督は何一つ変えなかった。「オレの契約の問題だ。選手には関係ない」。退任会見は行わず、選手に自ら説明もしなかった。その後も次々とコーチ陣の退団が発表。異様な事態の中で、チームの快進撃が始まり、退任発表後は15勝6敗3分け。騒動に動揺することもなく、驚異的な強さを発揮。「監督のために」と陳腐な言葉を口にする選手は皆無。どんな環境でも常に勝利を追求する姿は、04年の監督就任後、指揮官が教え込んだものだった。

 球団初のリーグ連覇は、球団史上最大10ゲーム差からの大逆転劇。「連覇は4分の3世紀で一度もなかった。やっと扉を開いたかな、と。ただ、ここで終わるわけにはいかない。完全日本一をこのメンバーと一緒に勝ち取りたい」。退任劇から27日間が経過し、誇らしげな笑みを浮かべたが、戦いはまだ終わらない。次は日本一の舞いで花道を飾る。

 ◆落合 博満(おちあい・ひろみつ)1953年12月9日、秋田県生まれ。57歳。秋田工高から東洋大に進み中退。東芝府中を経て78年にドラフト3位でロッテ入団。82年に史上最年少の29歳シーズンで3冠王に輝くと、85、86年にも獲得した。87年にトレードで中日移籍。94年にはFAで巨人入りし、2度(94、96年)のリーグ優勝に貢献。97年から日本ハムでプレー、98年限りで引退した。中日監督に就任した04年にリーグ優勝を果たし、06、10年もリーグ制覇。07年はリーグ2位からCSを勝ち抜いてチームを53年ぶりの日本一に導き、正力賞を受賞。今年1月に野球殿堂入り。

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Posted at 22:31 in Police | WriteBacks (0) | Edit
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