Nov 20, 2009

卒業旅行はヨーロッパ鉄道の旅

大学を卒業すると、職場や大学院など、忙しいので、なかなか海外旅行に行くことができません。卒業旅行は、最後のチャンスです。時間が取れない場合、卒業旅行ヨーロッパを鉄道で旅をみてはいかがでしょうか。ヨーロッパは一つの大陸とつながっているため、鉄道での国境を越えることができます。必ず思い出に残る卒業旅行になるでしょう。
古墳を巡る国内旅行をすることはかなり楽しいです。古墳の位置まで足を運び、その歴史を学び、どのように古墳が作られたのか考えるのが楽しいです。国内旅行とも呼ばれ、古墳を巡るだけの旅行になることがあり、約私は1人だけの旅行になることがほとんどだが、1人だと思っても十分な時間を持っているので、むしろ楽しさ倍増してしまいますよね。
 総務省は29日、食品の生産・流通システムの向上のため国が2004〜08年度に行った補助事業121件のうち約6割に当たる74件が、効果が乏しかったり目的以外の用途に使ったりするなど不適切だったとして、補助金の返還要請も含めた厳格な措置を講じるよう農林水産省に勧告した。 

 厚生労働省は29日、企業に雇用維持を促すため休業手当を補填(ほてん)する雇用調整助成金の6月の申請状況を発表した。東日本大震災に伴って支給要件を緩和する特例措置の申請期限が6月中旬だったため、駆け込み申請が相次ぎ、申請事業所は前月比3.6%増の6万4138件となった。一方、被災地以外の申請対象者は減少傾向にあり、助成金の対象従業員は7.0%減の154万9913人と2カ月連続で減少した。
 ただ、被災地では対象従業員も依然として増加。都道府県別に見ると、宮城が40.3%増の14万2584人、福島は35.2%増の11万4024人、岩手は7.9%増の6万590人、茨城は2.2倍の7万8373人となった。 

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 レイ・ハラカミ氏 40歳(本名・原神玲=はらかみ・れい=音楽家)27日、脳出血で死去。本人のホームページでは、告別式は親族らで行うとしている。

 京都在住。電子音楽の世界で活躍し、シンガー・ソングライター矢野顕子さんとのユニット「ヤノカミ」で活動していた。

 今年6月までの半年間に、詐欺や窃盗で指名手配されていた容疑者4人について、入国管理局が気付かずに成田空港などから出国させていたことが分かった。

 過去にも同様の問題が発生していることから、警察庁は法務省入国管理局に再発防止を要請した。

 警察当局などによると、出国したのは外国人を含む指名手配犯で、空港や港の入国管理局のデータベースに名前や旅券番号などが登録されていた。いずれも実名の旅券で空港から出国していて、審査官の手元にあるデータベースの画面に警告表示が出たが、見逃していたという。

 「日本沈没」「首都消失」などのSF小説や文明論で知られる作家の小松左京(こまつ・さきょう、本名・小松実=みのる)さんが26日午後4時36分、肺炎のため大阪府箕面市内の病院で死去した。80歳。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。73年発表の「日本沈没」は、テレビドラマ化、映画化された空前のベストセラー。日本列島の沈没を描いたが、小松さんは東日本大震災について、「この危機は必ず乗り越えられる。日本と日本人を信じている」とのメッセージを残していた。

 小松さんは今月8日に体調を崩して入院し、26日に容体が急変した。箕面市内にある小松さんの自宅で応対した事務所の乙部順子社長によると、当初は発熱があったが、入院中も意識ははっきりとしており、容体が悪化したのは死の直前。最期は親族にみとられ、安らかに息を引き取った。

 400万部を超えるベストセラーとなった1973年発表の代表作「日本沈没」は、地殻変動により日本列島が海中に沈むというストーリー。同年に映画化、2006年にも草ナギ剛主演でリメークされ、ブームとなった。そんな「恐怖」を描いた小松さんは、東日本を襲った大震災に心を痛めながらも、日本の未来へ「希望」を捨てていなかった。

 「今は大変な時期かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられるはず。この先、日本は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」

 亡くなる直前、事務所関係者にこのメッセージを託したという。

 1931年に大阪市で生まれ、兵庫県西宮市で育った。京大ではイタリア文学を専攻。卒業後はさまざまな職に就きながら、62年「SFマガジン」への投稿作品で作家デビュー。廃虚で鉄を食う一族を描いた「日本アパッチ族」で人気作家となり、その後も「復活の日」「エスパイ」など長編を次々と発表した。

 作品の壮大なスケールから、あだ名は「ブルドーザー」。好奇心、行動力が旺盛で、82年には太陽系を救うための木星爆発計画を描いた「さよならジュピター」で映画製作に乗り出した。また、ファクスやワープロを、いち早く仕事場に導入した実践派でもあった。

 一貫して追求したテーマは「人類と文明の行方」。SFという文学ジャンルを超え、未来学や文明論についても積極的に発言した小松さん。「歩く百科事典」と呼ばれた驚異的な博識を存分に発揮し、日本のSF界を切り開いた第一人者だった。

 ◆小松 左京(こまつ・さきょう、本名・実=みのる)1931年1月28日、大阪市生まれ。京大文学部を卒業後、経済誌記者、漫才台本作家を経て62年に「易仙逃里記」が「SFマガジン」に掲載され、作家デビュー。73年発表の「日本沈没」は400万部超のベストセラーとなり、日本推理作家協会賞。85年「首都消失」で日本SF大賞。星新一、筒井康隆とSF作家の「御三家」と呼ばれた。70年の大阪万博、90年の国際花と緑の博覧会ではプロデューサーを務めた。

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