Jun 07, 2010
結婚式の章で演奏したもの。
知人の結婚式に参加するときは結婚枚の披露宴会場での楽器演奏をしています。結婚式の章での演奏はその時に一緒に勤務していた、CDショップの先輩の男性としています。自分はキーボードを演奏し、その人の先輩は、アコースティックギターを弾きながら歌いました。その男のオリジナルソングを演奏しました。20代の頃、結婚しようとしていた人と別れてしまい、慌ててホンファルウルなバーがあります。その頃、婚活なんて言葉はなかったと思うのだが。そして、パーティーに何回か参加した。男性女性の多くの人々が集まって話をした後、気に入った人を指名するようなものだったと思う。女性は何人かの著名なきれいな人がいて、あとで聞いたが、彼らは桜だったようだ。
シンガー・ソングライターの川嶋あいさん(25)が9日、佐賀県鳥栖市の医療・看護専門学校「九州アカデミー学園」の入学式で作詞・作曲した校歌を披露した。
川嶋さんは福岡市出身。1月に同校を見学後、「目の前の壁はきっと未来への扉 弱虫はつかみたての勇気で包むよ」と、学生を励ますバラード調の曲を書き上げた。
多くの社会貢献で知られ、東日本大震災後は路上ライブで義援金を募るなどした川嶋さん。「これからは医療を志す若い力が必要」と、復興に不可欠な医療を目指す若者たちにエールを送った。【遠藤雅彦】
福島第1原発事故で避難指示の出ている20キロ圏が、自宅前の太田川を挟んで広がる。福島県南相馬市立石神第二小学校教頭の大内幸雄さん(53)は3月24日、両親、妻と一緒に避難先から自宅に戻った。この地区は津波に襲われた上、屋内退避か自主避難が求められる20?30キロ圏でもある。自宅に戻ったのは今のところ大内さん一家だけだ。
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震災当日。児童を迎えの保護者に託し、夕方自宅に戻った。高台の自宅は被害を免れたが、すぐ下の田んぼまで津波は来ていた。海に近い住宅は跡形もなくなり、死者も出たと聞いた。車に家族と近所の人を乗せ、夢中で近くの小学校の避難所に向かった。
避難所では当初、体験を語り合うことで恐怖が和らいだが、やがて先行きへの不安が頭をもたげ、あまり会話をしなくなった。プライバシーが守られない生活にも疲れ、自宅に戻ることを決めた。
しかし、見えない放射性物質は怖い。約60戸の大半が流されたこの地区で夜、明かりがともるのは大内さん方だけだ。「1年後もさほど状況は変わらないかもしれない。悲しみや不安は消えない」と大内さんは話す。だが、希望は捨てていない。「また津波が来ても被害を最小限にとどめられる地域づくりを目指して、住民が力を合わせなければなりません」【山下俊輔】
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「たらっぽ(タラの芽)も出たがなあ」「また採りたいねえ」。春の暖かさに包まれた埼玉県加須(かぞ)市の旧県立騎西高校。福島第1原発がある福島県双葉町から避難している紺野アイ子さん(63)は、春になるといつも近くの山へ山菜採りに出かけた友人と故郷を懐かしんだ。
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町北部にある自宅は、地震と津波の被害は免れたが、原発事故による避難指示を受けて一家6人で川俣町、さいたま市、加須市と避難所を転々としてきた。最初は「二、三日で帰れる」と思ったため着の身着のままで、愛犬は数日分のえさを置いて庭にロープでつないだまま。孫の希美(のぞみ)さん(9)は愛犬の写真を一日中眺めながら心配している。
毎年、春になると自宅の庭にはパンジーが咲き誇り、夏にはアイ子さんが庭で育てた新鮮なナスやキュウリが食卓に並んだ。週末の楽しみはバーベキューで、夫誠一さん(68)が近くの高瀬川で釣ったアユや、長男幸洋さん(41)が南相馬市沖で釣ったアイナメなど、地元の旬の食材をわいわい言いながら味わった。
「ごく当たり前だった日常が、あの一瞬ですべて失われました」。今は、体育館の毛布の上で弁当を食べる時間がささやかな一家だんらんになった。
いつになったら帰れるのか。帰れても、放射能汚染は大丈夫なのか。心配事が尽きず、一睡もできずに朝を迎える日も多い。
しかし、アイ子さんはあきらめていない。「何年後になるか分からないけど、いつかまたみんなで双葉に帰って楽しい生活を送るんです」【袴田貴行】
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岩手県大槌町から100キロ以上離れた内陸部の雫石町の旅館に避難中の元会社員の小国省司さん(77)は毎週金曜にはバスを乗り継ぎ1時間半かけて盛岡方面に通う。妻シメさん(76)が震災直後から入院しているからだ。往復3100円。年金生活の身には大きな出費だが「妻の顔を見ないと不安ですから」。
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シメさんと2人暮らしで、あの日も自宅に2人でいた。揺れが収まると腰が悪いシメさんを車椅子に乗せ、小学校に逃げ込んだ。家は流された。
翌日、シメさんはヘリで盛岡市の病院に運ばれた。人工透析を受けているためだ。対面できたのは3日後。その日は埼玉県に住む息子、娘とも初めて連絡が取れた。「2人ともうまく逃げたから」。それ以上言葉にならなかった。
県が避難者を内陸部に移送する計画を聞き、すぐに手を挙げた。少しでも妻の近くにいたいと思ったからだ。
旅館の個室での生活は2週間が過ぎた。旅館前のテント内に設置された洗濯機を使うのも慣れた。「みなさんのおかげ。感謝しています」
先行きを考えると不安が多い。「自分も家内も大槌に戻って暮らしたい」。願いはそれだけという。【三木陽介】
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