Nov 26, 2010

犯罪抑制にも効果が大きいの監視カメラ

銀行のATMやコンビニ店内駐車場やマンションなど、今世界には監視カメラが至る所に採用されています。監視カメラは犯罪の証拠を記録する場合にのみ、インストールされているものはありません。犯罪をボムハリョとしている人々に監視カメラが設置されていることを知らせることで、犯罪行為の終了の効果が期待できるからです。
最近、英国と米国では監視カメラが街中にあり、自宅で会社に行くまでの間、ほぼすべての行動が監視されているとも呼ばれます。日本もこれから増えていくと思われます。安全で良いような気がするが、子供の時、教師の裏で秘密基地を作って遊んだり、日陰で作られる因縁だと考えています。すべての行動が監視カメラで管理されてしまうのもどうでしょうか?
山形豪・自然写真撮影紀:
 昨今のデジタル一眼レフに代表される「写真撮影機器」の数々は、どれも実に高性能だ。新しい技術を搭載したカメラの登場は、これまで想像すらしなかったような写真の撮影を可能にしてきた。また、パソコンやケータイ、ネットの普及、ソーシャルメディアの誕生という流れの中で、写真の使い方、見せ方も大きく変化した。表現手段の多様化や大衆化という意味では、喜ばしい変化と言えるだろう。

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 我々フォトグラファーも時代の流れに合わせてデジタルに移行してきた。写真のデジタル化がもたらした利便性や可能性は絶大であり、この期に及んでフィルムに戻るなど、到底不可能だし無意味だ。撮影者だけでなく、クライアントやマーケットの要求もテクノロジーの進歩とともに変化しているのでなおさらだ。

 アフリカなどで野生動物を撮り続けている私自身、デジタル化によって多大な恩恵を受けていることは疑いようが無い。以前にも書いたが、大量のフィルムを持ち運ぶ煩わしさや、光量不足を理由に撮影を諦める事態から開放された点は実にありがたい。

画像:1997年にニコン「F3T」で撮影したアフリカゾウ、ほか
(http://camera.itmedia.co.jp/dc/articles/1111/22/news027.html)

 しかし、大きな変革がもたらすのは必ずしもありがたいものばかりではない。生き馬の目を抜くがごときカメラメーカー同士の生存競争は、プロダクト・ライフサイクルの極端な短縮という副産物を生み出した。デジタル一眼レフカメラも、パソコンやケータイ同様、矢継ぎ早に新モデルが登場する。ひとつのカメラを使い倒す前に、より高性能の機種が登場し買い替えを余儀なくされる状況は、決して好ましいものではない。

 かく言う私も、2003年にデジタルで撮影を始めて以来、ニコン「D100」「D2H」「D200」「D300」と乗り換え、現在では「D700」と「D7000」を使用している。ひとつ売り払っては次を買いといった具合で、後生大事にカメラを手元に置いておく余裕もない。性能の向上は朗報だが、回転が速すぎると感じているのは私だけではあるまい。

 経済的負担以外にも、最近のデジタル一眼レフカメラには釈然としないものを感じる。デジタルに移行する前は、「F3T」や「F4S」「F5」といった機種を何年にも渡り愛用していた。また、写真のイロハを教えてくれたのは父から譲り受けた「ニコンF」だ。使い続けるうちに手になじんでいったそれらのカメラには今でも愛着があり、もはや仕事の撮影で使うことはないものの、たまにキャビネットから取り出して遊んでいる。

 自分や家族の歩みとともにあり続けたカメラたちには、単なるモノとは違う価値がある。キズや凹みのひとつひとつにすら、思い出がしみ込んでいるのだ。下らない感傷主義だと笑う人もいるだろうが、写真を撮ること自体、多かれ少なかれ個人の感情や感傷に基づく行為だ。それを可能にしてくれるカメラという存在に、特別な思いを寄せるのは当然だろう。

 ところが、昨今のデジタルカメラには、そのような感情を抱かせる何かが足りない気がする。単なる製品の耐久性とは別次元の、デジタル特有のはかなさというか、長い年月の経過に耐え得るだけのDNAのようなものが備わっていないように思われてならないのだ。これはカメラだけでなく、写真そのもののあり方にも関係している。

 写真がフィルムという物質的存在から、磁石を近付けただけで消え去ってしまう、もろいバイナリデータに変化した。いくら多重バックアップを取り、クラウドにデータを乗っけてみたところで、結局のところ実体のない1と0の集合でしかない。その電子情報を作り出すのがデジカメだ。つまりカメラが光のA/D変換を行う電子機器になってしまったのだ。そこにはフィルムカメラの持つ、人間と機械、そして写真との物理的なつながりが欠落している。私がデジタルカメラにいまいち愛着を抱ききれない理由はその辺りにあるのかもしれない。

 フィルムで写真を撮った経験のない方はこのような悩みとは無縁であろう。昭和時代に生まれたアナログ人間による、他愛(たあい)もないぼやきであることは重々承知の上での発言であることをご了承いただければ幸いである。

[山形豪,ITmedia]


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